【 一般財団法人 あすなろ会 会長賞 】

感動を売る仕事
神奈川県  レモンイエロー 23歳

『人に感動を届けたい』この気持ちを失ったのは一体いつからだろうか。
 就活を始める時、私は『感動を売る仕事』がしたいと心の底から決めていた。子供の頃から舞台や音楽に触れることが多かった私は、『感動』によって心や生活が豊かになることを知っていた。丁度コロナ禍でエンターテイメントが不要不急だと叫ばれた時、なお一層人には『感動』が必要なのではないかと確信した。エンターテイメントは決して不要不急なものではない。人々が健康な心を育むために必要なスパイスなのだ。エンターテイメント業界が軒並み採用中止をする中、私は有り難く舞台の裏方として就職をすることができた。
 それから私は2年目となり沢山のことを経験してきた。憧れの業界で自分の好きなことができて、私は最高に幸せだった。しかし、それは思い描いていた理想だけでなく、知りたくなかったような嫌なことも沢山あった。休みも少なく、決して給料もいいとは言えない。毎日同じ舞台を支える代わり映えのない仕事。あれほど好きだった舞台を嫌いになっていく自分がいた。それが何より辛い。心が荒み、自分がこのままこの場所で続けていける未来が見えなくなった。目の前に映る舞台の景色が日に日に憎らしく見えた。
 もう辞めようと思った。けれど自分に辞めると潔く決断できる勇気がなかった。そんな自分がもどかしい。只々不平不満を心に抱く自分もどんどん嫌いになっていった。
 ある日、一人の役者とたわいもない話をした。その中で彼は言った。「飽きたら役者を辞める。お客さんの失礼にならないように」そしてこう続けた。「30年後でも僕は役者を辞めないよ」
 ハッとした。この人は相当の覚悟と敬意を持って毎日舞台に立っているのだ。しかも何年経っても自分が挫けないという相当の自信を持って。
 私はいつからか自分のことしか考えられていなかったのだ。嘘偽りなく『人に感動を届けたい』、その一心でこの仕事を選んだはずなのに、いつの間にか自分自身に対するメリット、デメリットしか頭になかった。
 私は今までなんて失礼な気持ちで仕事をしてきたんだろう。自分にとっては毎日同じことの繰り返しなのかもしれないが、お客さんにとっては凄く特別な1日なのだ。自分のこととお客さんのこと、それはどんな理由があれ切り離して考えなくてはいけなかった。
  私はもう一度『感動を届ける』という意識で仕事をしようと決心した。自分がお客さん側だった頃のときめきと感動を胸に込めて。
 その日、舞台の緞帳が上がった瞬間、私の心臓は間違いなく震えていた。そうだ、私はこの感動を届けるために仕事をしているのだ。この素晴らしい景色を人々に届けるためにこの仕事を選んだのだ。正直、沢山の不満は有るけれど、決して不満ばかりではない。いいことも沢山あった。舞台を作る一員として、お客さんの拍手や歓声を近くで感じること。今の私にはその瞬間こそ幸せなのだ。それを私は感じようとしなかった。仕事をする目的を失っていた。例え転職したとしても、目的を失った心では結局同じように不満を抱いて終わっていたであろう。
 それからというもの、横から見る舞台の景色は私の心も豊かにした。そして、この仕事をする自分を誇りに思えるようになった。ほんの少しの意識を変えるだけで目の前の世界は素晴らしい世界に変わるのだ。


飽きるまで続けてみようではないか。今日も私は感動を売りに行く。

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