【公益財団法人 勤労青少年躍進会 理事長賞】

小さな先生
佐賀県  森 咲野花
 「午後の算数の授業をお願いしてもいいかしら。サヤはきっとできるから大丈夫。」昼休みに開いた折り紙教室を見て、英語で私にこう言ってきたフィジーの小学校の先生。当時高校1年生だった私は、佐賀県のオリンピック事業の一環でフィジーを訪れ、この日はホストブラザーの通う現地の小学校にいた。異国の地で私が「小さな先生」になる。急な話に動揺を隠せなかった。しかし、フィジーであらゆることに挑戦すると心に強く決めていた私。「I will do my best.」。私の口からは、自然とこの言葉が出ていた。
 明かりのない教室で、貸し出し制の教科書を使い、薄い紙のノートに板書を取りながら授業受けるフィジーの子どもたち。真夏の日差しを感じながら、彼らは一生懸命、机に向かっていた。教師が説明をし、淡々と授業が進んでいく。これがフィジーの小学校の授業スタイルだった。しかし中には、集中できずにまわりの友だちにいたずらをする生徒もいた。小さな笑いが、やがてクラス全体に広がり、先生が注意する。私は何度かこの光景を目にし、考えたことがあった。もしかしたら、彼らはグループワークやペア活動中心の授業のほうが合っているのかもしれない。そして、フィジーの子どもたちの何気ない行動が、私の考えに自信を与えてくれた。新しい靴が買えない友だちに、自分の靴の片方を貸す女の子。家庭の事情で昼食を持ってきていないクラスメイトのために、バイキングのように食べものをシェアする様子。授業中に男の子のたった1つのものさしをクラスのみんなに回して使っていたこと。彼らが助け合うのは、かわいそうだからという理由ではない。「ケレケレ」という、持つ者が持たざる者に与えて共有するというフィジーの伝統的な精神に基づいている。彼らの自然な優しさは、きっと授業でも活かせると確信した。
 気がついたときには、私は教壇に立っていた。例題を説明し、練習問題を解いてもらい、隣の席の子とペアになって、互いに解き方を説明し合いし合う。程よいタイミングで私がランダムに生徒を当てて、発表してもらった。間の切り替えは、「Time is up.」でメリハリを付けるようにした。私のやり方に戸惑いつつも、楽しさを見出していく彼らを見て、私まで幸せな気持ちになった。「Saya, Excellent!」授業が終わったときのフィジーの先生の言葉とハグは、今までで一番嬉しかった。
 私は帰国の飛行機でフィジーでの出来事に思いを馳せた。なぜ授業スタイルのアイディアを事前に思いつくことができたのか。頭の中をよぎったのは、小学4年生の担任の先生のことだった。私の考え方の原点にはこの先生の教えがある。直感的にそう思った。先生は専門であった理科の授業の冒頭に毎回、今日の内容に関する身近なものを使った実験を見せてくれた。そしてクラス全体で一つの仮説を設定し、実験後には各自で考察を立てる。この「考察」という作業が私にとっては新鮮だった。一年を通して、身近なものに結びつけて考えたり、事実のその先にあるものを予測したりすることの大切さ、新しい知識や経験から生まれる新たな考えのおもしろさを学んだ。
 私はこの春から大学生となり、地元の学習塾でアルバイトを始めた。私が教えているのは、中学校の予習に当たる部分だ。生徒は、私の授業で知らない世界に触れ、新しい知識を得ることになる。何かを一から教えるということの難しさを日々痛感しつつも、生徒の曇った表情がパッ明るく変わる瞬間を見届けられるところにとてもやりがいを感じている。
 日本ではない場所で、十年前の担任の先生の存在の大きさを実感したのは、思いがけないことだった。近代化された環境下で得た価値観に惑わされず、発展途上国に寄り添った教育支援のエキスパートになる。それがフィジーの経験から生まれた私の夢だ。私は今日も誰かの「小さな先生」になる。何気ない生活、経験や行動の中に将来の仕事につながる何かがあると信じて。
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