【 奨 励 賞 】

【テーマ:仕事を通じて、かなえたい夢】
レベルアップしていく夢
埼玉県  片 桐  了  33歳

私は現在33歳の漫画家だ。

絵や落書きは幼稚園の頃から描いてた。

と言うのも、私には兄が2人おり、

家にはジャンプやらマガジンやら、少年漫画から青年誌まで大量に漫画があった。

文字が読めないながらも毎日漫画を読む不健康な園児。

だってそれしか遊ぶものが無かったのだから仕方ない。

父は紙の製造会社に勤めていて、家にはまっ白い紙が腐る程あった。

その紙にラクガキをしまくり、絵本や紙芝居を自作しては兄に見せて読み聞かせていた記憶がある。

そんな私を見て母は心配したのだろう、

当時5、6歳の私に「漫画家だけはなっちゃダメよ?」

早々に将来の夢を危惧される。

一応就活もしてみたり IT 企業に受かったりもしたが、やはりダメだった。

21歳のときに我慢できずに漫画家を目指してしまった。

これは私のせいではない。

私は悪くない。兄と父と、漫画友達と環境のせいだ。

環境が私を漫画家にさせたのだ。仕方ない。

漫画家になりたいと決意して IT 企業を蹴ったことは後悔していない。

時間はかかったが、26歳で連載することができた。

現在、企画本なども含めて12冊世に出すことができた。


漫画家という夢が叶ったが、それがゴールではなかった。

漫画家になれたのは嬉しいが、実は憂鬱の連続なのだ。

これはオリンピック選手にようやくなれた、というものに近い。

オリンピックの舞台にようやく立って、そこから金メダルや銀メダルを取りにいかねば意味がないのだった。

私は数多くの自分と同じようなオリンピック選手に圧倒されている。どんどん抜かされている。


ようやく気付いたが、自分は天才ではなかった。

選手になれたとこに安堵して満足していた。

金メダルを取りに行く、という夢を覚悟して決めなければいけなかった。

憂鬱な日々を過ごしていたが、海外好きの私は数年前にふと、

「仕事として海外に行きたい」という夢をつくってみた。

少しずつ海外系出版社とご縁ができ、アメリカ、カナダでの出版にもこぎつけた。

なんと、先月アメリカのアニメイベントにて漫画家として招待されたのだ。

夢をつくってから時間はかかったが、数年で叶えてしまった。


なるほど、夢というのは覚悟してつくってしまえば叶いやすいのかもしれない。

別に1つだけしか夢をつくってはいけないなんて言われていないし。

( 母には漫画家になるなとは言われたが )

なら、小さな夢をいくつかつくってクリアしていくのも面白そうじゃないか?

その為なら私という人間は無課金で動いてくれるであろうし、

クリアしたらどうせまた次のフィールドが勝手に現れるに違いない。

金メダルを取りに行く。もちろんその過程で面白そうなメダルもゲットする。

さてさて、次はどんな夢を叶えようかな。

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