【 奨 励 賞 】

【テーマ:仕事を通じて、かなえたい夢】
本で部屋の床は抜けるだろうか?
都立桐ヶ丘高等学校(定時制課程総合学科)  五月女 萌 音  18歳

「足の踏み場がないくらいの本に囲まれた空間で暮らしたい」

「堆く積まれた本をパラパラめくりながら趣味の創作活動である小説を執筆したい」

「とにかく、本が欲しい」

他人から「何かしたいことってあるの?」と訊かれて、理由を付け加えて述べたら前二つの返答になる。そこから「結局は」などの前置きをしたうえで述べるのが三つ目である。

このような小さい問答をすると、大抵の人は「そうなんだ」の一言で終わらせるか、本に関連した職種を勧めてくる。出版社なんてどうだろう、書店員もあるよね、文章を書くのが好きなら小説家はどう?

ただ、一個人の見解としては、小説家なんて食い扶持の知れない博打をしたいとは思わない。出版社、書店員も考えはしたが、なんだかそういったものでもない。特に後者に関しては、アルバイトでしてみたいとは思う。しかし、接客のアルバイトを一年やって学んだことは「他人とマニュアル会話をすると、自分の心はいくつあっても足りないから向かない」だった。致命的すぎて現実味が消え失せた。

そんな中で生まれた新しい選択肢が「図書館や学校にいる司書」だった。マニュアル会話の応酬は接客よりもずっと少ない。何よりも静かで本に囲まれた空間に合法的にずっと居座れる。自分の目に映った利点が魅力的すぎていたのである。

他を挙げるなら、人が借りていくラインナップでお勧めの本を考えてみたいだとか、そうしていたら自分の興味があるジャンルが増えるかもしれないだとかがある。ジャンルが増えるということは、その方面の本を買い込む未来が見える。そんなことを繰り返せば自宅が本で溢れることが目に見えている。思い描く中で、冒頭のことを叶えられそうな、一番もっともらしい職業だと結論付けた。これを人は盲目的、とも言うだろう。

本に埋もれそうな場所を自作しようと思えば不可能ではない。自分が関心を持っている範囲が大きければ尚更難易度が下がる。片端から気になる本を集めていけばいいのだから。ちなみに、集めた本を全て読みきれるか否かは考えていない。趣味の一資料として、流し読みをするだけのものもあるだろう。正直に言ってしまえば、資料だけでも軽く図書館は現在所持している本でもできるかもしれない。

さらにジャンルを広げるとしたら、興味を惹かれるような取っ掛かりを見つける必要がある。それは司書になれば自然と見つかる気がしなくもない。その取っ掛かりを見つけたら「そんな本が欲しい」なんて欲が生まれる。その後はもう言わずともわかるだろう。しかし、本とはいえ、電子は宜しくない。印刷されている紙本で構成されたページをめくる感触が「文字を読んでいる」という気にさせてくれるから、本は絶対に紙がいい。

そうして集めた膨大な本がある空間で、漁った資料を読みながら原稿を書いたっていいだろう。呑気に書き進めた作品をどこかに応募してみるのもいいだろう。その辺の話はまだ霧散しそうな夢で構わない。

目先の夢は本だらけの部屋、そのための基盤が司書になる夢、真っ先にするべきことは大前提でもある司書資格を取得できる大学受験。最初さえ叶えば連鎖的に叶うだろうと信じたい。それこそ努力、根気が物を言うにしても、わずかでも関係しているであろう運に賭けたってよいのではないだろうか。そう信じて努力もしつつ祈るばかりである。

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