【 奨 励 賞 】

【テーマ:現場からのチャレンジと提言】
こんな奴が言うのだから
東京都  篠 原 重 雄  50歳

学の貧しい中卒という学歴も影響したのだろうが、半世紀にも及ぶ長尺の人生の間で、正社員として働いたのは、ほんの数か月である。堪え性がないと苦い言葉を投げられたら返すセリフはすぐに見つからない。ごく平凡な世間の目から見れば、とうてい豊かな生活に恵まれない一生低次元の、どうしようもない奴と一瞥されるだけであろう。あくまでも赤の他人からの評価だけど。

非正規雇用で働くことは、果たしていけないことなのだろうか。仕事という言葉の意味を深々と考えれば、正社員であろうがアルバイトだろうが、収入の違いを除けば同じ労働である。根本的なところは同様であり、ただ、雇用形態が異なるだけで、やっていることに大して差はない。モチベーションに至っては、安泰と勘違いしている正社員よりも、一生懸命従事しているアルバイトのほうが遥かに勝っていることも考えられなくもない。

大学卒、高校卒の就職率が何十パーセントですと、毎年、恒例のようにテレビや新聞のネタとして堂々と報じられている。その割合が高ければ高いほど世の中の景気がよくなり、我が国が幸せ国として君臨したような気分にさせようとしているみたいに耳に届く。

とはいえ、有名大学を卒業して名のある大企業に就職したところで、大昔のように終身雇用という保証をいただけるとは限らない。他国に比べればまだ安堵感はいただけるが、どれだけ名のある会社に入社したとしても、突然破綻という、けして稀ではない現実が恐ろしくも今の社会には生じるのだ。会社に、どっぷりと甘えてお世話になりますといった態度で就職すると、前触れのない破綻以前にリストラされる不運から逃れかねないことも当然のことながらありうるのである。

正規雇用がいけないと、嫉妬して豪語しているのではなく、働くということは、ある程度の覚悟を背負い、自ら定めた目標に向かってひたむきに努力するということが、どんな職場にも大切だと私は言いたい。

ちょうど半世紀生きた私の今の仕事は当然のように非正規雇用で一年ごとの更新。露わにするほど多くはない収入だが、毎週日曜日午後6時半から生じるといわれる「サザエさん症候群」とは一切無縁の心持ちでいる。それよりも、職場で仕事をすることに絶え間ない高揚感があり、通勤時の足取りはいたって軽やかだ。嘘でも仕事が趣味とは言いたくないが、労働に従事しているときの自分は、週末の空白時間よりも、断然輝いていると自分の姿を鏡に映す。

それは、常に目標を掲げているからだとつくづく誇らしげに語ってしまう。先方から依頼を受けた業務を定められた納期までに満足に完遂できるように額に汗して懸命にやろう。どれだけ困難だと思われる業務も、全身全霊をかけて努力し、勇ましくやり遂げてやろうではないか。時にはパソコンに浮かび上がった数字にじっと見入って、先行きに恐れおののくこともあるが、やってやれないことはないと、がむしゃら精神で戦に挑むような心境で仕事に立ち向かう。

繁華街のゲームセンターは喧しくて近づかないし、スマートフォンでゲームをするという趣味とも縁遠い。ただ、表現は悪いが仕事は一種のゲームに似た要素があると私はつくづく思うのだ。完璧にやり遂げたときに自らを自ら採点する。他人に評価してもらうのではなく、自分がいかに、この業務を合理的にゴールへ導いたか、高揚感を覚えたか、さらには、満足感をどれだけ得たかと。次の業務は、さらに上質に挑んでやるぞと、やる気は上限を知らない。

非正規雇用という立場で、この歳ではあるが、身分の違いなど職場では問題外。個人の仕事に寄せる前向きな感情が、楽しくもさせるし退屈にもさせる。

こんな奴が言うのだから誰だって。

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