【 奨 励 賞 】

【テーマ:現場からのチャレンジと提言】
努力の威力が能力に変わるまで
愛媛県  まめだ 典 聞  42歳

私はアスペルガーらしい。

そう診断されたのはここ数年前だし、病名や症状を聞いたところで自分の理解には繋がらない。

幸か不幸か、私は軽度なので職場の理解を得られれば健常者と同じ職場で働けると言う事だった。

障害者の作業所は一般就労先の足元にも及ばない程に低賃金だ。

私には障害者作業所で働く長男と、一般就労障害者雇用の次男と、未成年の双子の息子が居る。その為私は意心地の良い障害者作業所ではなく理解を貰いながらの一般就労を選んだ。

私は普通の人が簡単に出来る「判断」が出来ない。記憶力も悪く、物事は空では覚えられない。字の形や語呂合わせ等で覚える。急な変更に対応出来ない。

いつもの流れが何かのきっかけで乱れてしまうと頭が真白になって次に何をすべきか優先順位を見失う。

よく上司から

「何で出来ないのか?」

と問われる。

何で?それが判れば間違ったりしていない。

これはとても意地悪な質問だと思う。

こう思うのは私が非常識だからなのだろう。

だけど知って欲しい。私の様に普通では無いが一般就労に紛れている誰かさんの胸の内を……。

長男も次男も自分の能力に見合った職場に居させて貰えていると思う。

それに比べて私はどうだ?背伸びをして、無理をしたが故に仕事を通して学んで行く同僚、息子達より遥か下で私は一人取り残されている。

私の成長期はいつ来るのだろう?首を傾げながら。

私が初めて働いたのは高校3年生の時、母の友人のお店のお手伝いだった。

店はたこ焼き屋さん。

お客様に「いらっしゃいませ。」を言う事がどんなに幸せか知った瞬間でもあった。

「笑顔が良いね!」

「元気があって良いね!」

初めて得る喜びだった。

しかし、そこにお給料が発生するというのは責任と常識が伴う事を私はまだ知らなかった。

物(特に食べ物)を作る事に於いて一つ一つに責任を持つのは当然だ。

大きさ、形の等一に始まり見映えも細かく気を配る。規格外は全て廃棄だ。

私はいつも失敗した。

「オマエは使えない。」「死んでしまえ!」「殺してやろうか!」私は追われるように店を辞めてきた。

失敗も続けていればいつかはその道のプロになれたかもしれない、とどの店の事を思い出しても想う。

結局私は心で負けたのだ。

パワハラと言う言葉が飛び交い、「死ね」等言われなくなった今でも「だからアンタは普通じゃない。」と言われただけで縮み上がってしまう。でもその度に想う。もう心では負けたくないし、お客様に最高の笑顔で「いらっしゃいませ。」を言い続けたい!

今まで私をお客様と出会わせてくれた職場には本当に感謝したい。バカで無能で非常識な私にとても素晴らしい出会いを有難うございます。

だけど私はまだ足りない。

お客様を笑顔にして又来たいと思って貰える店になる様、店員の一員として尽力したい。

それしか出来ない私だけど……それしか出来ない私だからこれだけは手を抜けない。

今日も「出来る人」に埋もれながら私は笑う。心を込めて……。

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