【 奨 励 賞 】

【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
子どもが教えてくれたこと ─新米母さんが直面した働く母を取り巻く現状─
東京都 あ ら た 34歳

教員として社会人生活をスタートさせた時、私は希望に満ちあふれていた。大変なことだらけだった が、やりがいがあった。結婚して子どもを産んだとしても、すぐに復帰するんだろうと思っていた。そ れぐらい仕事が好きだった。

あれから10年、私のお腹の中には今2人目の子どもがいる。長男の時は迷うことなく育休を最大限取 得した。そして今は仕事を休んでいる。子どものいる生活が、私の環境を変えたのだ。

去年4月に職場に復帰した。すぐ熱を出す息子に、主人と交替で休暇を取る日々。ピリピリしつつも なんとか半年を乗り越えたように思う。部分休業という勤務時間短縮制度を活用し家事育児との両立を はかるも、職場にいる時間は減るのに仕事は減らないわけだから、思うようにならない。生徒との時間 もなかなか取れない。

母になる、ということの葛藤や自分の無力さに直面したのは、初めての妊娠の時だった。体調が悪く て全力で仕事ができない。生徒と卒業まで一緒にいられない。でも、赤ちゃんも愛しくて。お腹の中の 子の成長と一緒に少しずつ、働きながら母になることの覚悟をしていったように思う。逆に復帰してか らの方が細かいことを気にする余裕はなかったかもしれない。それでも、役に立てないもどかしさはど こかしらにあった。

子どもの体調も安定してきた頃、大きな仕事の責任者となった。通常なら事前に本人への承諾が必要 な仕事であったらしいが、会議資料に自分の名前が載っていることにすら気づかなかった私は、周りか らの視線と言葉により、事の重大さに気づいた。

部分休業は取り消し。送り迎えも主人に頼むことが増えた。遅くまで仕事をする私を見て、「残れる」 と判断した上司から、さらに大きなプロジェクトを頼まれるようになった。

思うように仕事のできない不甲斐なさを感じていた中で、必要とされたことの喜びを感じたのは事実 だ。しかし、家族、特に息子に対して我慢をさせてしまったことに対する申し訳なさもあった。定時で 帰るたくさんの上司や同僚を横目に、「時間制限のある私以外に適任者はいるのではないか」と思いなが ら、息子に心の中で謝り続けた。

そして妊娠発覚。体調が悪く管理職に相談していたが、トップからの返答は、「それでも職場にいる間 は仕事はできるでしょ」。周りに迷惑をかけないように、仕事は休まなかった。そんな中で長男が喘息で 入院。看病と仕事で身体は限界を迎え、「切迫流産」という診断が下された。しかし仕事を休むことに なった私を待っていたのは、「安静」とはほど遠い生活であった。

引き継ぎのために無理に出勤した日、主任から投げかけられたのはこんな言葉だ。「私はどうしたらい いの?」「代わりをなんとかしてよ」「今後の案を出してから帰って」

その後も主任からは、「このままでは科が崩壊する、早くなんとかしろ」というLINEが繰り返し送 られ、常に仕事のことを考えざるを得ない状況に、気持ちは休まることがなかった。精神的に不安定に なった結果、体調は悪化、結局産休まで休まざるを得なくなった。でもこれで赤ちゃんのことをちゃん と守れると、ようやく安堵した。

仕事を取れば家庭は立たず、家庭を取れば仕事では役立たず、はっきり言ってこんなことを感じた1 年半だった。バランスを取るのは本当に難しい。また、私のように福利厚生に恵まれた職であってさえ、 その制度を使用するには勇気が必要だ。本人が声を上げなければ誰もその人の抱えているものには気づ かない。声を上げたって潰されてしまうかもしれない。それでも、守りたいもののためには戦い続けるし かない。がむしゃらに仕事に没頭できた頃のように、またいつか、思う存分やれる時がきっと来る。だ から今、もっと他に守るべきものがあるなら、声を上げてそれを守ろう。自分を、そして自分の家族を 守れるのは、自分しかいないのだから。

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