【 奨 励 賞 】

【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
仮面舞踏会
兵庫県 清 水 誠 33歳

私は、スーパーマーケット恐怖症になったらしい。

気づいたのは、休職してすぐの頃だった。

正確に言うと、昼下がりのスーパーマーケット恐怖症である。私は、重病人でもなく、怪我人でもなく、妊婦でも子育て中の主婦でもない。本来ならば働いているはずの平日午後にスーパーに行くという ことがきまり悪くて、いてはいけない気がしたから、そそくさと買い物を済ませるようにしていた。

前の冬に体が動かなくなった。結婚して数か月、二度目の流産した後すぐだったと思う。私には、す べてを100%でやろうとする癖がある。家庭を言い訳にして仕事をないがしろにすることも、その逆も嫌 だと考えただけでなく、「妊活」まで付け足した。独身の時と同じように仕事をして、走って帰っては独 身の時よりも栄養価の高い食事を作り、合間を縫って不妊治療のために病院に通う。高校で教員として 働く私は、土日も部活のために出勤する必要がある。なんだか、ひとつの頭に3つくらい仮面をつけて いるような気分だった。周りの人たちも同じくらい、いや、それ以上に、たくさんの仮面をくくりつけ て忙しく生活しているのだろう。そう思った。自分の能力の低さは知っていたから、みんなと同じ数の 仮面をつける為にできることは、「がむしゃらにやる」しかないと信じて、実践した。流産したのも自分 が足りないからだ、と考えて、母親、という仮面を増やすための努力を惜しまなかった。

そうしたら、体と心が分離して、「うつ」と診断された。甲状腺の血液検査では、橋本病も見つかっ た。「がむしゃら」に生きることを信条としていた私に課されたのは、「やすむこと」である。仕事を休 み、家事も手抜きしていいから、薬を飲んでひたすら寝てください、と医者は言う。

すべての仮面をはぎ取られ、なにもできない人、というレッテルを貼られた気になっていた私には、平 日午後のスーパーマーケットはそびえたつ城のように見えていたような気がする。「母」あるいは「妻」 の仮面をつけた人々の社交場となっていたそこは、私のような中途半端なものの出入りを許さないよう に思えた。

働いていた時間が丸々自分のものになるというのは不思議な感じがしたが、自分を振り返るのにちょ うどよかったかもしれない。違った見方ができるようになったのだ。専業主婦の友人だって、たまに家 事をさぼることもあるし、同じ時期に結婚した同僚には、土日に会ったことがない。というか母も、夫 も、完璧ではなかった。皆沢山仮面を持っているけれど、どれも着脱可能なのだ。私も例外ではなかっ た。

大学を卒業してからずっと、休まず働くことがいいことだと信じて疑わなかった。生徒が可愛いから というのも勿論あるが、働くことで初めて、自分を認めてあげられていたような気がする。自分を説明 するのに一番わかりやすいのが職業だと思っていたから、「教師」が一番安心できる仮面だったのだろう。けれど、それが外れて開けた視界は、本当に明るく感じる。以前は、しなければならない、で自分を追 いつめていたのに、今度復帰したら、あれがしたい、こうしようかな、と思う余裕まで出てきた。

これからも、仕事をしている時間が一番長くなるだろう。だからこそ、義務感という接着剤でがっち り固められたものではなく、着脱可能な仮面を沢山持って、付け替えながら生きていきたい。スーパー マーケットでも、遠慮なく買い物ができるようになった。復帰まであと、1か月だ。

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