【 入選 】

【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
誰かを信じて働くということ
東京都 林 田 咲 結 29歳

今から私が書くのは「誰かを信じて働く」ことについてだ。これは若者へのエールであると同時に、5 年後、10年後、私自身がその考えを失くさないでいたいという思いを込めて選んだテーマである。


私は現在、編集職に就いている。今は東京に住んでいるが、キャリアをスタートしたのは京都だった。従業員数15名ほどの小さな編集プロダクションで、東京の出版社の下請けとして、季刊誌を制作していた。

1年目は、右も左もわからず、編集長に食らいついていくだけで精一杯だった。2年目になると、編 集長の退職をきっかけに自分のページを持つようになり、私は編集アシスタントから編集者に昇格した。

1年目の苦悩が「うまくできない」ことだとすれば、2年目のそれは「うまくいかない」ことだった。デザイナーから上がってきたデザインを見て、外注ライターから納品された原稿を読んで、その仕事の 質に疑問を感じ、イライラした。何よりイライラしたのは、自分もまだ一人前の編集者ではなく、信頼 関係を結べなかったことだった。

デザインも原稿も、全部ひとりで直した。これが仕事である以上、赤点をとることは許されないのだ。及第点をとることで精一杯の日々は、いつも不安と苦悩に満ちていた。

そんなとき、あるベテラン編集者と話す機会があった。「自分が設計図を100%描く仕事の進め方が、正 しいのかわかりません」と伝えると、「疲れるでしょう」と言われた。泣きそうになって「すごく疲れま す」とこぼすと、「だから僕は一流の人としか仕事をしないんです」と返され、ハッとした。そして「一 流の人と仕事をするには、あなたも早く一流にならなければいけません」とも言われた。その夜のこと は、今でも鮮明に覚えている。

「早く一流になりたい」、そして「一度でいいから誰かを信じて働いてみたい」。その思いを携え、1 年後には会社を退職し、上京した。「誰かを信じて働く」ことが幻想なのかどうか、諦める前に知りた かったのだ。

結果として、私は運よく転がり込んだ出版社で、初めて「誰かを信じて働く」という経験をさせても らった。その渦中にいたときは無意識だったのだが、後でそのことに気づき、自分でも驚いた。私の未 完成の設計図を信じ、力を貸してくれた人がいたこと。それによって、ひとりでは到達できないところ へ行けたこと。それが自分のキャリアにおいて、最も社会的意義のある仕事のひとつになったこと。そして、一流の定義についても気づくことができた。一流というのは、信頼される仕事をこつこつ積み 上げてきた人のことだ。なぜならその案件に至るまで、私が信じようが信じまいが関係なく、彼らはい つも最高で、プロフェッショナルな仕事をしてくれた。彼らはそうして、編集者として未熟な私を、い つの間にか信じさせてくれた。そのおかげなのだ。


「誰かを信じて働く」ことは、クリエイティブ職に限らず、営業職や総合職でも起きうることだろう。そして、多くの人が打ちのめされるはずだ。なぜなら、手抜きをする人、自己向上心の低い人はたくさ んいる。そして彼らは口をそろえてこう言う。「他人に期待するおまえが愚かなんだ」と。まるで、夢を 追い続ける人を、夢を諦めた人が糾弾するように。

ただ、「期待する」と「信じる」は似て非なるものだ。三省堂大辞林第三版には、「期待する:当てに して心待ちにすること」「信じる:疑うことなく、たよりとすること」とある。ないものを当てにするこ とと、それでお金を稼ぐプロだと疑わないことは、まったく違う。だからそれは「誰かを信じて働く」 ことを諦める理由にはならない。その先にある景色を知らない人のために、踏みとどまる必要もない。

と、書いているこの1週間前にも「他人に期待するな」と言われたばかりなのだが、私は相変わらずその可能性を閉ざすつもりはない。なぜなら、その感動を知っているから。そして、今も一流の編集者 を目指しているからである。

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