【 入選 】

【テーマ:仕事を通じて、こんな夢をかなえたい】
私の世界への夢
浜松市立高等学校 内 山 七 穂 17歳

私は将来日本語教師として働きたい。そして、日本語または相手の言語を通して人の思い、考えを知 り言葉の壁を少しでも取り除き世界が互いに繋がれるようにしたいというのが私の夢である。

世の中には偏見というものがある。私は偏見とは要するに何も知らないということであり、その考え は相手を最終的には傷つけ、最悪の場合は互いの衝突を生むことになると思う。私たちに1番身近な偏 見は友人関係の事だと思う。入学したときなどの新しい出会いがあるとき、友達と話しているときに登 場する謎の見えない友達の事を聞いた時に偏見が生まれることが多いだろう。また、食べ物に対する偏 見も多くもっている人もいると思う。以前私は友人関係の事で偏見をくつがえす体験をした。高校3年 の5月までソフトボール部に所属していた私は、最後の大会にむけて3年生の間で行れていた話し合い で自分の意見をある理由で言い出せずにいた。これまで何もよけいな事を考えずに意見を発してきた私 だったがこれまでの経験上常に反発されたり、他の意見と衝突することがあったため、最後に限って不 安が多くなってしまったので黙ってしまった。その時、思いもよらないことがおきた。今まであまり自 らの思いを口にしないため、何も考えていないんだなと思っていたチームメイトが突然自分の考えを語 り出した。驚いたことに彼女の意見は私の思いと同じであった。そして、彼女の言葉により3年生の思いが1つになった。私はこのとき彼女に申しわけない気持ちでいっぱいになったのと同時に偏見をもっ てしまっていたのは、考えを言葉にして相手を知ろうとしなかったことにあると思った。しかし、この 偏見の問題は国際的なレベルでの問題にも大きな原因となっているのではないかと思う。それは、朝鮮 の核の問題、イスラム教徒の過激派組織などの世界の国と国との様々な衝突である。私はテレビの番組 の会話で国籍が違う人々の間に偏見を感じることがよくある。いくら一国の大統領だとしても1人の人 間であることに変わりはないから偏見が全くないわけではないと思う。そのため必ず心のどこかにこの 国はこうであると決めつけている所が誰にでもきっとある。従って、私達は世界をもっと知らなければ ならない、そう思った。知るためには伝えなければならない、伝えるためには言葉が必要である。しか し言葉の壁は今だ厚いと思う。私は部活での体験とこの考えをもって日本語教師を目指すことを決めた。

私は日本語教師として言語を自分自身が学び、世界の国々の人々に日本語を教えるのと共に日本とい う国を世界に知ってもらう。それから、国籍、文化、言語の違う人と人とが互いを知り世界を知って繋 がれるようにまずは広い視野をもって周りをみわたし1つ1つ知識をつみ重ねていこうと思う。

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