【佳作】

【テーマ:さまざまな働き方をめぐる、わたしの提言】
はたをらくにする
福岡県 す ず ら ん 62歳

母が2ヶ所の病院での4ヶ月にわたる入院をへて、小さな介護施設に移ったのは厳しい寒さの続く2 月のことだった。迎えに来てくれた施設のケアマネさんの助けで車に乗りこむ母は、すっかり痩せて表 情もうつろになり、入院前の母からは想像もできないほどの衰えようだった。

母は前の年の秋、スーパーの店先で転んで救急車で病院に運ばれた。検査の結果、膝の裏の骨が折れ ていることが分かり、その場で即入院となった。90歳という年齢と心臓に動脈瘤があるため、手術では なく温存治療ということになった。最初の病院は2ヶ月で出され、次の病院ではノロウィルスに感染し、 何とか生命の危機は脱したものの、認知症も進み、このままでは母は崩れてしまうと、私は必死で母を 受け入れてくれる施設を探した。

何か所も回ったグループホームはどこも満員で途方にくれていた時「併設のデイサービスのお泊りを 利用しながら、グループホームの空きを待っては?」と言ってくれたのがこの施設だった。看護師の資 格を持つ施設長さんとケアマネさんは1時間以上も私の話をじっくりと聞いてくれ、「私たちもできる 限りのお世話をしますから一緒にがんばりましょう」とやさしく言ってくれた時には思わず涙がこぼれ た。

母が入所したのはバレンタインの日だったが、この日を境に母は心身ともに回復していった。病院で はペースト状の『食事』をスプーンで数口食べる程度だったのが、ここでは小さめに切った普通食を、 母がぽろぽろとこぼしながら口に運ぶのを、職員さんが付きっきりで見守ってくれた。おかげでひと月 もしないうちに母は箸を使って、時間はかかるが自力で食事ができるようになった。また病院ではリハ ビリの時間以外は、『転ぶと危ないから』と車いすに固定されていたのが、ここでは母が立ちあがると、 職員さんがさっと来て母の体を支えながらいっしょに歩いてくれる。神経性の頻尿でひっきりなしにト イレに行きたがっていたのが、30分が1時間になり、今では頻尿に悩まされたのがウソのようだ。退院 からひと月ほどして見に来た病院のケースワーカーが母の回復ぶりに驚いて「病院の限界をつくづく感 じました」と言った。入所から半年たつ今では、母は年相応の認知症はあるものの、それでも新聞の見 出しを読んだり、職員さんの名前を覚えて「あの人は○○さんよ」と面会に行った私に教えてくれるこ とさえある。それもこれも施設長をはじめとする職員さんたちの、心のこもったプロの介護のおかげだ。

母もすっかり落ち着いて「この病院(母はここを病院だと思い込んでいる)は、先生たちもみな親切で やさしい」と満足しているようだ。姉と交代で毎日のように顔を出すが、母は毎回帰りには「気を付け て帰りよ」と笑顔で手をふる。

肉体的にも精神的にも大変な介護の仕事を、明るくユーモラスにこなしていく職員さんたちを見てい ると、本当に頭が下がる。ここの職員さんはベテランが多く、家族の疑問や要望にも適切に対処してく れる。おかげで姉も私も仕事を続けることができるし、何よりも母自身が心穏やかに安心して日々を過 ごせているのがうれしい。

人は誰しも年をとって介護が必要になる時がくる。家族だけでの介護には限界があるし、プロの介護 職員の適切なケアが本人にとって幸せな場合もあることは、母を見ているとよくわかる。いま日本では、 家族の介護のために仕事を辞める人が年に十万人もいるという。介護の仕事は高齢者本人の生を支える だけでなく、その家族の生活を支える役割もしているのだ。まさに『はたをらくにする』究極の仕事だ と思う。介護職のプロとしての技量や、これからの高齢社会を支えていく社会的意義を再確認して、介 護職の地位向上に努めていく必要があるのではないかと、私は日々感じている。

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