【 公益財団法人 日本生産性本部 理事長賞 】

【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
人生 私色の組み紐
埼玉県 そ ら あおい 66歳

私は65歳になってから初めてパスポートを申請した。海外旅行通の同年齢の友人と初めての海外旅行、 仕事人生の卒業旅行を自分への褒美として計画した。

私の仕事人生は1970年(S45年)~2016年(H28年)まで46年間にもなっていた。この間結婚、出産、 複数回の転職と振り返ってみれば「忙しい人生だったな」と今更ながら実感している。今・ここで結論 めいたことを言うとしたら「すべての経験は一本の組み紐のように編み込まれ繋がっている」というこ とだ。つまりどの仕事の経験も無駄なことはひとつもなく私の中に残されており、様々な場面で必要に 応じて表出してくると感じている。

私の職業人生は想定外の出来事から始まった。九州の片田舎、地元の商業高校に通学していた私は家 庭の事情で進学はあきらめ就職希望組であった。同じクラスの友人に「一人で就職試験に行くのは怖い から付き合ってー」の一言に軽い気持ちで誘いに乗ったことがきっかけだった。採用されたのはある大 手の化粧品会社で美容部員しかも勤務地は花の東京。

4月に就職して3ヶ月間徹底して新人教育を受けた。専門の教育はもとよりマナー、表情、振る舞い、 言葉使い、特に方言は厳しく修正された。

2年半余りのち事情があって転職することになった。偶然会計事務所で事務員の募集があり知人の紹 介で就職した。ここで商業高校での勉強と取得していた資格が役に立った。そして、この仕事経験が会計 事務所の顧問先である不動産総合商社への転職へと結びついた。配属は経理、最初の要求は台帳関係の 整備であった。これには会計事務所での経験が大いに活かされ補助簿に至るまですべての帳簿を整える ことができた。加えて銀行取引、不動産取引、許可証の更新申請など新たな仕事を覚えることができた。

さらに地主の接待、顧客対応などは化粧品会社での経験が役に立ち充実した職業生活を過ごした。しか し、バブルがはじけ打撃を受けた会社は清算を余儀なくされ、私は定年まで働こうと決めていた会社を 退職した。

そこで再度予期せぬ出来事が起こった。前社長の親族の企てにはまり、ある大手生命保険会社の外務 員(保険の営業)として働くことになった。「営業など死んでもできない」と抵抗をし反抗もしたが、上 司は一枚も二枚も上手で結局素直に働く羽目になった。ここで私の仕事を支えてくれたのが前社での人 間関係だった。個人営業はまず信頼関係づくりから始まる。知り合いであればそこは短縮できるからだ。

法人営業ではこれまでの経理の知識や不動産会社で取得した資格が役に立った。代表者との面接に気後 れしなかったのも前社での経験のお蔭である。さらに新たな仕事経験として2年半の個人営業のあと、 組織に入りチームリーダーとして営業サポートや新人教育を担当した。また、各法人の従業員向け無料 マナー研修のインストラクターとしての任務も果たすことができた。この認定研修は地獄の研修だった が、その体験は今後のセミナー講師や人前で話すうえでの私の基礎となった。

ここで私は相当数の人と出会い、泣き笑い苦しみ悲しみ喜んだ。多くの人と出会い様々な経験をした ことが人に興味を持つきっかけとなり、それが最後の仕事に結びついた。

私は退職しカウンセラーになるための勉強をして資格を取得し、公共機関や大学の支援職として17年 以上仕事をしてきた。18歳以上の老若男女、また様々な立場の人、そして共に働く人との出会いがあっ た。私の支援の根底にあるのはこれまでの仕事経験で培ってきた能力、体験から学んだこと、出会った 人たちから教わったこと、これらすべてが私の中に織り込まれ、それが私の体全体を通して表現され人 の役に立っている。

これから社会人になる皆さん!どのような経験もひとつとして無駄はありません。辛い時はいっとき落ち込んだら前を向いて進んでください。その経験はあなたなりの一本の組み紐として織り込まれてい くのですから。

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