【努力賞】
【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
一つのきっかけ
神奈川県  梅澤駿  19歳

私は高校入学から現在までの四年間で、様々なアルバイトを経験した。スーパーのレジ打ちから始まり、スーパーの品出し、引越し、造園、居酒屋の厨房。こうして職種も異なっているため、幅広い知識を得られたことは大きな財産となった。ある程度、料理が出来るようになれば、肉付きも良くなり、良いことの方が目立つ気がする。

当時の私は、ただただ給料を目的に働いていた。時間に余裕があったこともあるが、一番はお金。特に物欲があったわけでもない。それでも一ヶ月働いて、目に見える報酬として給料を貰えることが嬉しかった。

ところが、いざ給料を使うとなると自分はどんな働きをして、何を評価され給料を得たのかさっぱりわからない。確かに、通帳にある数字は膨らんでいて、どことなく喜びはあるが、肝心な「何が嬉しいか」がわからなかった。ただ間違いなく職場は楽しく、新たなことを覚えるのも苦ではなかった。それなのにわからない。でも金の亡者になったわけでもない。何もわからないうえに、何も残らないのが一番の苦痛だった。

これらの経緯から、高校卒業後は就職をと考えていた。特にやりたい仕事もなく、アルバイトで特別やりがいを感じたこともない私には何でもよかった。また今までと同じ感覚で、今後も働くものだと完全に決めつけていた。大学進学なんて毛頭ない。もしかしたら、工業高校に進学し、就職の方が多かったからかもしれない。でも、心が安らぐことはなく、見えない不安に身の毛がよだった。

そんな私にも、中学時代は一つの夢があった。成績が振るわず、断念せざるを得なかったが、いっとき本気で目指そうと思っていた。その夢というのが、中学校の国語教師。きっかけは、三年間担任だった国語の先生にある。私は彼を見て、子どもを笑顔にする仕事がしたいと目を輝かせた。しかし、時すでに遅し。中学三年生頃の話だったため、挽回は叶わなかった。

かくして、先述したとおり工業高校に進んだが、教師になる夢は進路を決める段階になってもまだ、捨て切れなかった。奥歯に物が挟まったまま約二年間過ごしたことになる。ポロっと挟まったものが取れなかったことにビックリだ。それに、国語教師となると工業とはまた違うため、先生に打ち明けにくい。「無謀な夢は諦めろ」なんて言い放たれたらどうしよう。そんな葛藤を繰り返しているうちに、いよいよ決断をする日が来た。

私は、迷わず第一希望に「教師」とだけ書いた。本来ならば「◯◯大学」と書くべき箇所に。自分なりの意思表示をぶつけ、先生方の反応を待つことにした。生きた心地なんてものはない。

数日後、案の定先生に呼び出された。

「なんだよ、もっと早く言えよ」

「へ?」と、思わず腑抜けた返事をしてしまった。

その時、「深々と悩んでいる時点で、それは人生において絶対重要な悩みだ。それに、一人じゃ到底解決できないような悩みだ。だから誰もバカになんてしない。そうなったら、とにかく誰かに話してみろ。見えなかったものが見えるから」と言われた。私には、この段階で見えなかったものが見えた。

それからは、死に物狂いで自分に必要な勉強を行い、大学も様々な人に聞いて、第一志望の大学に受かることができた。現在も教員を目指して勉学に勤しんでいる。

大学に通って、高校時代のアルバイトをよく思い返すようになった。思い返すたびに、つくづく就職にしなくてよかったと感じる。なぜなら、仕事はやらされるものではない。自主的に、自発的に行うものだ。それに、仕事を始めれば人生の半分は仕事と向き合うことになる、と言っても過言ではない。仕事は、何となく決めるものではない。私は、多種多様なアルバイトをしてきたからそう思うのかもしれない。ただ、おかげで人生選択を誤らなかったと思う。出来るときに、多くの経験はしておいた方が良い。

そして、お金の価値は人それぞれ違う。受取って、思わず感謝するようなお金が理想だと思う。

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