【厚生労働大臣賞】

【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
ぶらり途中下車の旅
熊本県  高松正典  29歳

大学に9年間通った。でも、後悔はしていない。

単純に勉強について行けないということもあったが、最大の理由は病気によるものだ。バセドー病にかかり、全身が麻痺する症状が出た。体調はなかなかよくならず、休学と留年を繰り返した。入退院を繰り返し、甲状腺の放射線治療もした。そのおかげもあり、現在の経過は良好で、薬を飲むだけで済んでいる。体調を整える中で休学や留年を繰り返す度に、なぜ自分だけがと考え、もはや人生をドロップアウトしたようなものだと、幾度となく絶望した。

そんな私でも、現在はなんとか働いている。卒業後に地元の熊本に帰り、派遣社員ながらも、熊本地震の家屋解体の受付業務主任として、約1年の契約期間が切れるまで市役所で勤務した。震災直後で、申請に来る方は、どの方も被災して困っている状況である。とても繊細な状況の中、毎日ひっきりなしに行われる申請を、被災者の立場に寄り添いながら消化した。そんなハードな環境の中、ここで働ければ何だってできる、と自信を持つことができた。社会から一度ドロップアウトしかけた自分でも、世間の役に立つことができたと思えるようになったのだ。

現在は縁あって、住宅リフォーム会社の営業として働いている。地震からの復興はまだまだ途中だが、今ある家にこれからも長く付き合ってもらうための助けになれる、大切な仕事だと感じながら頑張っている。まだまだ結果は伴ってきていないが、お客さまに寄り添いながら、自分の知見や経験を仕事に活かせていることで、自信を持つことができるようになりはじめてきた。

思い返せば大学時代も、同じように絶望を乗り越えてきたように思う。最初に体調を崩し、休学を決めたとき、病気の影響で精神的に沈んでいたこともあり、人生のレールから外れてしまったと強い絶望感に襲われた。休学してからは、逃げ帰るようにアパートを引き払い、実家の熊本へ帰ることにした。しかし、高校の恩師の誘いで参加した農村での活動で、農業高校時代に学んだ技術や知識を活かすことができ、自分の存在意義を感じ始め、徐々に自信を取り戻せた。そして、大学に復学してからは、熊本の農村で出会った仲間とともに、千葉県の集落の活性化を目指すサークルを立ち上げ、代表も務めた。
全てぶらりと途中下車をするようになりゆきで行ってきたことだが、その先で人とふれあい、自分にできることに一生懸命取り組むことで、自ずと自信を持ち、動くことができるようになってきたのだ。

このような経験の中で感じた事は、自分の体調と相談しながら、自分の適正にあった場所や仲間を前向きに探していくことの重要さだ。そして、それを自分の状況を自身が一番面白がって動いていると、不思議なことに面白い展開が転がり込んでくるものだとも感じた。

一度は、人生のルートから外れたと絶望した。しかし、真っ暗に感じていたその状況でも、実は進む道はあったのだ。人生において、正しいと言われる道を途中下車しても、絶望から解き放たれたときに、今まで見えていなかった道が拓けるのだ。

あらかじめ定められた道を走ることは、素晴らしいことである。しかし、それだけが人生の全てではない。自分の捉え方や創意工夫次第で、ケモノ道だけど自分に合う道を見つけられることが、人生であり仕事だと考える。

これまでの私は、人と比較すると時間のかかる人生であった。このような生き方は、安定しないダメな生き方だと言われがちである。しかし、時間をかけて様々なことを体験したからこそ得た出会いや経験があり、途中下車したからこそ見える景色があるのだと思う。人生の特急に乗る人には、きっとこの景色は見られない。

これからも、下車した先で起こる、偶然に彩られた人生の輝きを楽しんでいきたい。そして、その先が地域や誰かのためになる路線図であることを期待している。

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