【 努力賞 】
【テーマ:女性として頑張りたい仕事・働き方】
「女性だから」を言わない
神戸大学国際文化学部 森美沙季 20歳

現在の安倍政権では「女性が輝く日本へ」ということで2020年までに指導的地位に占める女性の割合を30%にすることを目標に掲げました。しかし現実は国会議員に占める女性の割合は8.1%と、OECD加盟国の中でも最低ランクです(2014年11月調査)。このような結果を受けて女性の社会進出を求める声は高くなってきており、クオータ制の導入などが提案されてきました。しかし私は女性として働く際、このクオータ制によって採用されて働きたくはないと考えています。

まず、男女平等とは何かということを考えてみました。よく聞くジェンダーという言葉には2種類の意味があると考えられます。1つは生物学的に生まれ持った差異。そしてもう1つは社会的に、つまりは人工的に作られた差異です。いくら「職場に男女平等を!」と声をあげたとしても、例えば引っ越し業者に男女平等は可能でしょうか?女性専用の浴室の清掃員を男女同数にすることは可能でしょうか?ほとんどの女性は生まれながらにして男性より力が弱く、引っ越し業が務まるとは思えません。また女性の浴室に男性が入るのも言うまでもなく無理があるでしょう。このようなことを考えるとラジカルなフェミニズムのように男女平等を完璧に目指すのは不可能であると言えます。社会的に作られた差異はともかく、このような生物学的な差異は変えられないものであり、それに平等を求めるのは不可能です。

もしここでクオータ制を導入すればどのようなことが考えられるでしょうか。例えば女性は一般的に男性よりも空間認識能力が低いと言われています。つまりそのような空間認識を必要とする職業に男性が多くなるのは仕方がないということです。逆にネイルエステなど、繊細な技術と女性独特の美的センスが必要な職業に女性が多くなるのもしょうがないことです。もちろん例外となる人々もいるため、どんな人でも能力があればそれができるという環境は必要です。しかしそこで男女の権利を平等にというのは少し筋違いな気もします。つまりもしこのような分野でクオータ制が導入されたとすれば、とある能力のある男性がその仕事に就くことができなくなり、その代わりにそれよりも能力が劣る女性がその仕事に就くということが考えられます。これは果たして正しい雇用形態といえるのでしょうか。

時々私がパソコンで資料を作っていると、「女の子なのに機械も使えるなんてすごいねー」と声をかけられます。しかし私はこうであって欲しくありません。女性なのに、女性だから、といった視線で見るのではなく、同じ仲間として見て欲しいのです。男女平等を掲げて女性の権利を主張するのではなく、同じ能力を持った仲間として周りの人々と協働していくということこそが本当の男女平等であるのではないでしょうか。

性によって偏見を持たれ、差別されるようなことはもちろん言語道断です。そこで私が目指す女性の働き方とは、女性だからああだこうだというものではなく、真の意味で平等に、そしてその能力を認めてもらったうえで共に働く働き方です。もちろん自分が女性であることに引け目を感じたりはしませんし、むしろ誇りに思っています。だからといって自分からその立場をはっきりと男性を区別してしまうのではなく、同じ条件で、ありのままの自分を表現していけるような働き方をしたいと私は考えます。こうすれば本当の自分の能力で評価されているということで自尊心にもつながりますし、その結果質の高い労働をすることができるのではないかと考えました。

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