【 佳 作 】

【テーマ:私が今の仕事を選んだ理由】
生きるため
兵庫県 risaio. 24歳

何気なく暮らしていた。いつもと同じ風景、いつもと変わらない空気。高校に通いながらアルバイトをして、稼いだお金は1円単位で使い切る。自分で稼いだ金だ、どう使おうが勝手だろう。そんな自分勝手な生活を送っていた時、難病と診断された。大学を中退し、実家に舞い戻って数ヶ月後の出来事だった。初めての入院、初めての検査、初めての投薬。淡々と述べられる未来の話はあまりにも残酷で、世の中を甘く見ていた私には、とても受け入れられなかった。病室で独り、辛く苦しい時間が続き、死のうとさえ考えた。いつになっても働けず、母に負担をかける日々。私が生きる事で、この世の何処に利点があるのだろうか?いつ悪化するのか、何故悪化するのか、何もわからない病気。雇う側も臆病になって当然だ。でもあえてここで、当事者の気持ちを第一に考えてほしいと訴えたい。ワガママだと言われるかもしれない、図々しいと言われるかもしれない。しかし、生きるために健常者よりお金が必要な私たちにとって、働く場所はどれ程大切か、働く環境がどれ程大切なのか、今一度よく考えてほしいのだ。税金が高くなったことで、国民の生活が果たして豊かになっただろうか?難病の指定範囲が拡大し、それによって以前から難病指定患者だった人が、今までよりも多くのお金を支払う事になったが、果たして働く環境の整備はどうなっているのか?そもそも、治療費が必要な人の、働く環境が整備されていないという事は、生命の危機に直面する事態ではないのか?お金がなく、薬が買えないから、治療が出来ない。ただお金が無いから、移植が出来ない。命はお金じゃ買えないなんて言うけれど、お金で救える命はたくさんあるのだ。ましてや、私みたいに自分で働いて、治療費や生活費を稼ぎたいと考えている病人に、“難病だから”と雇う事を拒むような企業は、救える命を見殺しにしているも同然ではないだろうか。しかし、冒頭でも述べたように、企業が難病指定の患者を雇う事に、臆病になってしまう訳もわからないでもない。だからこそ、私達は政府への苛立ちを隠せないのだ。職業紹介所へ行き、難病指定患者を雇った企業へ、助成金が出るという話を聞いた。そこで感じたのは、身体障害者と難病患者との間の、雇用に関する大きな隔たりだ。身体障害者手帳を持っている人は、障害者求人への応募が可能だが、私のように特定疾患受給者証は持っているが、身体障害者手帳は持っていない場合、そのような求人は当てはまらない。これは障害者雇用対策として、企業は雇用する労働者のうち、2%を身体障害者とすることを義務付けられたのだが、難病の患者に対しては、このような義務がないためである。なぜこんなにも、同じような境遇の人々の間に、隔たりが生じてしまったのか、ぜひ政府に問いかけてみてほしい。そこから、更にこの先、難病指定患者に対する雇用環境の見直しが進み、企業も何らかの病気を抱えている患者も、笑って働ける日が来る事を、期待していると伝えてほしい。私達は、ただ生きるため、ただ生き抜くためだけに、働きたいのだと。

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