【 佳 作 】

【テーマ:仕事・職場・転職から学んだこと】
税を納める者、税を使う者を知って
大阪府 森貞孝一 46歳

平成6年4月1日早朝。

転職先の市役所の入庁式を3時間後に控え、先輩から譲ってもらった小さな黒の愛車に、ほのかな温もりが残る布団を積み込み、お世話になった銀行の独身寮を後にした。

年度末の決算業務を終えた前日の夜、寮の食堂で開かれた私の送別会は明け方まで続き、先輩や同僚から数々の叱咤激励を頂いた。寄せ書きに記された「STAY GOLD!(輝き続けろ!)」の言葉を胸に刻み、私は新たな職場に車を走らせた。

生々しいバブルとその残骸を引きずる銀行員時代、私は栄養ドリンクのCMで流れていた「24時間戦えますか?」を地で行く「ジャパニ〜ズ・ビジネスマン」気取りだった。

ようやくその日の仕事を終え、息も絶え絶え布団に潜り込んでも夢の中で指導され続けるくらい厳しく鍛えられる一方、休みの日は独身寮の先輩や仲間と徹底的に遊びに出かけた。

職場の一人ひとりが日本経済の屋台骨を背負う気概を持って日々切磋琢磨しており、お金を稼ぐ苦しみと使う楽しみを「よく働き、よく遊ぶ」ことを通して学んだ。

その後、縁あって実家がある地元の市役所に転職することになった。

ビジネスの最前線にいたという自負からか、瀬戸内の波静かな海と、緑豊かな山に包まれた穏やかな故郷での勤務に、正直不安はなかった。

転職初日、つい3時間前までいた会社とまるで異なる世界が私を待っていた。

時間の流れはおだやかで、数字を求めて大きな声をあげる上司はいない。

何となく物足りなさを感じ始めた7月、私の目を覚まさせる事態が起こった。

梅雨の大雨が4日間降り続くなか台風が接近し、河川の水位が氾濫警戒水位に迫っていた。地元に住む若手職員を中心に、災害対応緊急配備要員が割り当てられており、普段窓口業務をこなす私に、初めて出番が回ってきた。

勢いを増す風雨が顔面を叩きつけるなか、厚めの雨合羽を着込んだ私たちは建設会社の土砂置き場で新たに数百個の土のうを作り続ける。現場のリーダーは、手際良くいくつかのグループを編成し、できたての土のうを河川敷や冠水・浸水が迫る道路や宅地の危険個所に運ぶ指示を出し続けていた。

ヘルメットを被った私たちが現場に入った途端、泣き崩れながら感謝される一人暮らしの高齢者もいた。

市内でも比較的水害に弱い地域には、地形を知り尽くしたベテランの職員の指示のもと、既に土のうを積んでおくなどの対策が取られていたことも後から知った。

自分は全く足りていない。

自分が住み、働くまちのことを何もわかっていない。わかろうとしていない。なぜって、わかっている「つもり」だったから。

当たり前のように、淡々と危険な現場に飛び込んでいく先輩職員の姿が、伸びかけた、芯のない私の鼻っ柱を根元からへし折った。

貴重な税金を使う側にいる私たち公務員は、様々なバッシングを受けやすい。

私自身、朝から晩まで駆けずり回っていた銀行員時代、税金は血と汗で稼いだ収益から削り、剥がされるもので、無駄に使われているとの認識を強く持っていたので、民間と行政の間の認識に、大きなズレがあることは否定しない。

市役所に入庁して20年が経過し、職員数は3割減った。一方、時代の移り変わりとともに、子育てや介護などこれまで家庭が担ってきた役割が徐々に行政に移行し、業務量は増加の一途にある。

「税を納める者」「税を使う者」の双方を知る私には、民間と行政が互いの力を尊重し、それぞれが持てる力を最大限に発揮できる環境を整え、その力を繋ぐ役割がある。

繋がった力が「国民の生命と財産を守る」という公務員の最大の使命を果たす土台になると信じ、目の前の一人ひとりと「正面から向き合い、隣に寄り添い、後ろから支援する」ことを常に意識し、仕事に取り組んでいる。

そして、私の仕事がすべてのひとの「STAY GOLD!」に繋がることを願いながら。

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