【 佳 作 】

【テーマ:私が実現したい仕事の夢】
夢を応援する仕事
岐阜県 安田貴喜 42歳

「お前なら、きっとなれるよ」  その言葉が、あいつを傷つけた。ずっと、そう思っていた。

もう、18年も前のことになる。私がまだ小学校の講師のとき、教師というものは、子供たちの夢を応援するものだと思っていた。だから、子供たちが本気でやりたいと思っていたことは、やらせるようにしたいと思っていた。

講師として赴任したのは12月、担任をしたのは4年生の子供たちだった。その中に、とても音楽の好きな女の子がいた。いつも明るく元気で、学級の中でも人気者だった。オルガンの弾けない私は、代わりにギターで音楽の授業をしていたのだが、彼女は、ギターに興味をもったらしく、私にギターを教えてほしいと言ってきた。

その頃、学校では学習発表会の行事が近く、私の学級では、合奏の発表をすることになったので、私は、彼女に発表曲をギターで弾けるようにアレンジして、教えてあげることにした。彼女は、私が貸したギターを家に持ち帰り、指に豆ができるほど熱心に練習をした。その成果もあり、学習発表会での合奏は大成功となった。本当に、一生懸命な子だった。

採用試験に合格していた私は、4月から新しい学校で新規採用されることとなっていた。講師としての任期もあと数日となり、4年生の担任を離れる頃、彼女が、
「先生、私、アイドルになりたい」
と言ってきた。私は、その時、何気なく
「お前なら、きっとなれるよ」
と言ってしまった。本当に軽い気持ちの返答だったと思う。

新しい学校にも慣れ、半年が過ぎた頃、彼女から手紙が届いた。ある雑誌のイベントのオーディションを受け、賞をもらい、親元を離れ、一人でとあるアクターズスクールに入るといった報告だった。内心、私は反対だったのだが、手紙の最後には、「先生が、アイドルになれと言ったから、私は頑張ってきます」とあった。私は、自分の言葉の重さを、その時、初めて知った。

3年後、中学生になった彼女は、帰ってきた。彼女の母親から連絡があった。彼女は夢に破れ、学校一の不良となっていたのだ。夢の結末として、典型的といえば典型的なものだが、私は、自分の言葉に責任を感じていた。少し、電話で彼女と話もしたが、もう、私の言葉は届かないような気がしていた。

私は、学校でギターを弾くことをやめた。そして、子供たちに夢を薦めるよりも、夢が敗れても次があるという逃げ道を教えるようになっていった。

彼女は何とか高校に行ったが、そこでもいろいろと悪さをしていたみたいだ。彼女の母親や彼女自身から時折連絡があり、私は、話を聞くことしかできなかった。彼女に、もう、夢の話題は出せなかった。

彼女が20歳を過ぎた頃、久しぶりに連絡があり、彼女に会った。そこで彼女から彼女のバンドのCDを聴かせてもらった。とても素敵な歌声だった。彼女は、レコード会社と契約が取れ、東京に行くと言った。まだ、夢を諦めていなかったのだ。私は嬉しかった。今度こそ、しっかりと彼女を応援したいと思った。

彼女は今、とても大きな舞台で楽しそうに歌っている。
「私の歌で、世界中の人を幸せな気持ちにしたい」

それが、彼女の夢だそうだ。店頭に並ぶ彼女のCDを見るたび、勇気がこみ上げてくる。

私は、再びギターを弾き始め、学級で子供たちと歌づくりをしている。これからも、子供たちの夢を応援し続けていこう。それが、教師という仕事に対する私の夢なんだ。

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