厚生労働省職業能力開発局長賞

【テーマ:仕事・職場・転職から学んだこと】
メッセージ
愛媛県 阿部喬子 33歳

「あなたとは、病院じゃない場所で会いたかったわ」

風がよく通る、病棟の隅っこの個室で、少しはにかんだような笑顔で彼女は言った。末期癌の50代の女性。私は彼女の担当看護師だった。病室での他愛のないおしゃべりの時間を気に入った様子で、技術も知識も未熟な若い看護師に最高の言葉をくれた。

告知も全て受け入れ、少しずつ変化する自分の体調からも、十分その時が近いことを感じていたはずだったが、いつも気丈で決して弱音を吐くことはなかった。ベッドサイドはいつもきれいに整頓されていて、ピンクの花柄のクッションを見る度に、まるで彼女の家のリビングに招かれているかのような錯覚に陥りそうだった。

次第に病状は進行し、いつものおしゃべりは私から投げかける言葉だけになった。調子が比較的良い頃は、病室の中でゆっくりであれば自由に動くことができていたが、生活のすべてがベッドの上で行なわれるようになった。繰り返し襲ってくる痛みや吐き気と、また持続する発熱と、彼女は最期までよく闘った。

入院して数ヶ月が経った頃、街はクリスマスムードに包まれた。毎年この時期になると担当看護師が患者にクリスマスカードを書き手渡す。グリーンのそのカードに、書くべき言葉はたくさんあったはずなのに、今年は軽はずみに何かを書くことはできず、「いつも本当によく頑張っていますね」そんな言葉しか書くことはできなかった。

クリスマスを目前に、朝日がまだ差し込まない薄暗い病室で、彼女は息を引き取った。穏やかなその表情は、いつかのおしゃべりの時に見せたそれと変らなかった。お見送りの時、病室の前の廊下で彼女の母がこう切り出した。
「あなたがくれたカード、棺桶の中に入れさせてもらいます。これまで本当にありがとうございました」
私はまるで子どものように、溢れそうになるものを、手の平の中でぐっと握りしめた。ゆっくりとした口調で、私の目を見つめる、その表情が彼女のそれと重なった。「ありがとう」それは私が彼女に言うべき言葉だったはずだ。

看護学生時代、「その人自身を大切にした看護がしたい」という看護観が芽生えた。病気になる前のその人の生活、性格、大事にしてきたものを大切にできる看護師になりたいと思ったのだ。学生の時も、看護師として働き始めてからも、看護の心を育ててくれるのは、紛れもなく患者だ。彼女がくれた言葉は「このまま、あなたの看護を続けてね」というメッセージのようにも感じる。

「働く」ということは、収入を得て生活を支えるということだろう。だが決してそれだけではないことを、患者と出会い、時に別れることで実感する。

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