【 努力賞 】
【テーマ:仕事・職場・転職から学んだこと】
一生懸命
秋田県 北山昇一 51歳

ニートと呼ばれる若者の存在が社会問題とされてから久しいが、そのような言葉もなかった時代に、私はその不名誉な先駆者に甘んじていた時期がある。世の中へ出て行く勇気がなかったのに、自分がこうなったのは周囲が悪いせいだと決めつけ、それを言い訳にして私は部屋に引きこもっていたのである。

中学校、高校時代の私はいじめに遭い、暗くて辛い学校生活を送っていた。高校を卒業後は進学も就職もせず、外にもほとんど出ることができなくなってしまった。そんな私を親は「真面目に働け」と叱ったが、親が悪いから自分もこうなのだと言い返すばかりで、あの頃の私はとにかく荒れていた。

自分は役に立たない人間なのだ、社会から必要とされていないのだと思い、私は生きる意欲を完全に見失った。自分など生まれてこなければよかったのだと、自ら命を絶つことさえ頭をよぎった。折しもバブル期で世の中全体が浮かれているような空気の中、私ひとりは華やかな流行にも背を向け、世間を呪いながら自堕落な生活を送っていた。

高校時代の友人と再会したのはそんなときだ。友人は二浪のすえ東京の私立大学に合格し、念願のキャンパスライフを送っている最中だった。私の有様を見た彼は、高校時代と変わらぬ快活な声を張り上げ、引きこもりがちな私を外へと連れ出してくれた。
「元気出せよ。おれだって大学に落ちたときはなあ、おまえに合わせる顔がなくて、二年間田舎に帰ることもできなかったんだぜ」

喫茶店のテーブルでうまそうにコーヒーを飲みながら、友人はしみじみとそんなことを話した。悩みなど縁のなさそうな顔をしている彼でも、大学になかなか合格できなかったことで自信を見失っていたのだという。
「新聞配達のアルバイトを必死でがんばるから、何とかもう一年浪人させてくれって、親を拝み倒して、やっと許してもらったんだ」

世間が悪い、親が悪いと拗ねていた私の胸に、陽気な男の苦労話が染み込んでいく。
「おまえ、何でもいいから一生懸命がんばってやってみろよ。死に物狂いでがんばって、それでも誰も認めてくれなかったら、そのとき初めて恨めばいい。世の中が悪いってな」

友の言葉に私は目が覚めた。何事も他人のせいにして、一生懸命という言葉すら忘れていた自分が恥ずかしくなった。

それからの私は憑き物が落ちたように、さまざまな仕事に挑戦し始めた。工場で埃と油にまみれながら夜遅くまで働いたり、スーパー店員時代は苦情電話をかけてきた客の家まで頭を下げに行ったりと、死に物狂いの日々を過ごしてきた。

決して成功した人生ではない。挫折はたびたび味わったし、心が折れそうになったことは何度もある。そのたびに、「何でもいいから一生懸命がんばってやってみろよ」という友の言葉を私は思い出した。「今の自分は駄目だな」と思うのはたいてい、死に物狂いで何かに打ち込んでいないときだ。

仕事で失敗しても、成績が上がらなくても、一生懸命に頑張っていれば、誰かが見ていてくれる。上司や同僚の信頼を得られたときは、天にも昇る気分だった。

世の中を恐れ、憎んでいた私が、働くことを通して世の中に救われたのである。それは私が長い間探し求めていた居場所であった。

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