【 努力賞 】
【テーマ:私が今の仕事を選んだ理由】
総合看護に魅せられて
埼玉県 齊藤美散 47歳

幼少時代より憧れていた看護師になり、四半世紀を向かえる。看護学生の時、すでに病院で助手として働き、外科手術の見学や手術後の片付けをする中で、外科系の看護師になりたいと思いを馳せるようになっていった。

看護学校卒業後は、末期癌病棟に配属になった。どこの病院からも、これ以上の治療はないと告知された患者ばかり。最初は対応に戸惑いがあったが、なんとか寄りそう看護を心がけた。多い時には一晩で4人も亡くなった。一晩中心臓マッサージを行ったこともあった。また、地域密着型の救急病院だったため、骨折や病気による外科的手術の件数もあった。大学病院から週に1回、整形外科の医師が訪れ、手術をする日があった。先輩からの勧めもあり、いつしか整形手術の担当になった。私だけが手術室と病棟の兼任であった。

病棟の夜勤明けで、そのまま整形外科の手術の準備に入り、2〜3時間の手術に入る重労働をこなしていた。しかし、体力の限界もあり、数年で退職した。

その後は、呼吸器内科病棟に勤めた。人工呼吸を必要とする患者の管理をした。長期になると、|のどから気管切開を行い、器械につないだ。会話でのコミュニケーションがとれないため大変だった。患者の中には、死ぬ前にどうしてもかなえたい事があると訴えた。それは、大好きな炭酸飲料を飲みたいということ。医師に確認をとり、実現した。飲みこむとは出来たが、人工呼吸をつなげた後、蛇バラの中に黄色い液体が行ったり来たりしていたことを想いだす。

十数年後、地元に住まいを構え、地域に根ざした老人介護を考えていた。その時、老人福祉施設の派遣看護師を始めた。入所する利用者は、平均年齢85歳。高血圧、糖尿病、脳血管疾患などの病気を持っている人が大半を占めた。中には、2つも3つも病気をもっていた。頭の先から足元まで全体を観察し、適切な対応が求められた。まさに総合看護が必要だった。目がかすんで見にくい、と言えば眼科に、耳の中が痛い、聞こえにくい、と言えば耳鼻科に通院する。中でも風呂上りに全身の観察をしなければならない。皮膚科に通院する程ではない傷や赤み、腫れがあった時、どんな処置をするかで悩んだ。まず施設に常時ストックしてある薬を確認した。そして、どんな種類の薬で、どう効果があるのか、どこに塗るのか塗らないで様子をみた方がいいかを確認した。病院勤務の看護師が医師のような判断を迫られるのは初めてだった。このように、老人ホームでは、嘱託医は存在するが、常には連絡がとれないため、医師のかわりに判断し対応することが多い。夜間の対応も、特に緊張する。夜勤の介護士からの電話の内容だけで状況を理解し把握する。それが、一瞬の判断で命にかかわるような時は尚更である。当番になれば、夜中でも老人ホームに向い、救急車に同乗して病院まで付き添う。家族への連絡も行う。

現在、老人ホームでの看取りが問題になっている。もう少し普及すれば、病院が担う役割を軽減できる。ご家族へのアンケートで、積極的な治療を希望しないが、救急対応はしてほしいという回答が多い。私達看護師の判断で看取りには出来ないので、ほぼ全員の利用者が救急対応になる。今後、高齢者をかかえる社会福祉施設が抱える大きな課題と言っても過言ではない。介護報酬が減っていく中従業員の給料にも影響する。人手不足が、看護や介護の質を落とし、悪循環になることも予測できる。

ホームの待機者が多く、入所を待たずに亡くなった方もいる。これから施設を増やすことも必要だが、方向の推移を見守っていきたいと思う。今後も社会福祉施設の看護師である上で、私は何をすべきか、何を求められているのかをしっかり模索しながら、常にベストで対応して行きたいと考えている。

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