【 努力賞 】
【テーマ:私が今の仕事を選んだ理由】
満足なのに不満足、理想通りってなんだろう?
和歌山県 じだま 46歳

子ども達がある程度大きくなるまで仕事をセーブし、これからやりたかった仕事を思いっきりやるぞという時に、子どもの病気、障害、不登校で、仕事を辞めざるを得なくなった。
2年半、子ども中心の生活の傍ら、趣味が仕事として認められる喜びもあった。

次に病院の看護師として働く時には、週3日程度のパートにして、趣味でもあるアルバイトも、ボランティアも、習い事も、英語の勉強も、子ども達と過ごす時間や病気に対応できる時間も十分にとれるようにしようと心に決めていた。理解ある今の病院は、こちらの希望通りで採用してくれ、おかげで、理想通りの仕事と生活の両立ができている。

18年ぶりの病院勤務はわからないことだらけで、迷惑をかけつつも、勉強する時間もあり、将来、看護師として海外でも活動したいという夢が少しずつでも近づいているように感じる。

子どもも、一進一退だけど、まずまずこのくらいなら、仕事を続けることができそうだ。
「これでいい。私は満足している」

そう思いつつ、何かもやもやしたものが心に引っ掛かる。私よりずいぶん若い看護師がてきぱきと仕事をこなす、言われたことに対してすぐに対応できる、それが羨ましい。18年前には私にもできていた。正職になれば、私もあの頃のようにできるようになるだろうか?
もっと患者さんの事が、病院のことが分かるようになるだろうか?でも、そう思って仕事中心の生活にしたことが、仕事を失うという結果につながったのではなかったのか?

人には欲があるんだなあ。働けるだけで幸せ。それは今でも変わらない。
以前のように仕事に文句を言うのではなく、どんなことでも感謝しながら仕事ができる。
それなのに、もっと働きたい、もっと極めたいという思いが湧き上がる。

若い時は生活や遊びのための仕事だった。今は自分のための仕事だと思う。
主人の収入だけでも暮らしていけることが分かったけれど、それでも働きたい。

年配の患者様が、自分の親と重なり、病児が自分の子どもと重なる。私がこの人の子どもだったら、私がこの子の親だったら、私がこの人自身だったら…。
そう思いつつ看護ができる。それは、良い意味で年を重ねた結果なのだろう。やっぱり、私は看護師という仕事が好きだ。

最近、「ウィークタイズ」という言葉に出会った。「うすいけれども広くてゆるやかな信頼でつながった人間関係」という意味で、「自分とは異なる状況に生きる、自分とは異質な人たちとのゆるやかな信頼関係を持つことが、本当に自分がやりたいことを見つけるきっかけを与えてくれる」と書かれていた。

看護師になると決めた時から、看護以外の事を知らないままでいるのはいやだと思って、様々なことに首をつっこんだ。コンビニや食品製造のバイトも経験した。子ども教室の開催はもう9年にもなる。小学校や保育所でのボランティアも10年を超え、年間行事に組み込んでもらえるようになった。

趣味の、バイク、キャンプ、旅行、英語、手芸、工作、手品、音楽、読書、防災…これらの多くは今も私の大切な趣味、生きがいとして、続いている。

全く関係ないと思っていた事柄が、ふとつながる瞬間がある。
他人だった人が、これらの何かを通じて、いきなり身近な人になる瞬間がある。

何も極めたものはないけれど、広く、浅く、これでもいいのかなと思う。

最近、英語関係の集まりで、「将来、海外で活動する医療関係者の方に英語を教えたい」という人と出会った。私のために、この人は現れてくれたのだろうか?この出会いも、ゆとりがなければなかったのだ。

いつか正職に戻ることができる日が来たとき、これらを捨てて仕事一筋にすることができるだろうか?そうしたいと私は望むのだろうか?

どちらを選んでも、後悔はするのだろう。今は、今を精一杯生きていこう。

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