【 佳 作 】

【テーマ:仕事・職場・転職から学んだこと】
傍楽ということの本当の意味
広島県 後藤晃子 52歳

働くとは、傍を楽にすることだとある人に言われたことがある。私は、両親が焼肉店を営みずっと働き続けた2人の背中を見て育った。私の家庭は、父が日本人、母が在日韓国人で、結婚を周囲から猛反対された両親は自分たちの力で結婚生活を維持するためにかなりの苦労をしたようだった。商売は良い時ばかりではなく、両親は仕事が忙しくて夕食時は妹と2人だけの寂しい夕食が多かった。だから一家団欒での夕食は私の夢でもあった。

私は広島の県立商業高校を卒業後、当然のように家業を継ぐつもりで父母の営む焼肉店を手伝い昼夜忙しく働いていた。そんな時、知人の紹介で公立中学校の教諭である夫と知り合い交際を始めた。私は比較的店が暇な火曜日が休みで、夫は日曜日が休みの擦れ違い交際だったが、交際を続ける私たちの将来を危惧して母がある日、こう切り出した。
「このまま、あんたがお店を継ぐつもりで仕事を続けていたら貢ちゃんと結婚出来んような気がする。いろいろ考えたんじゃけど、焼肉屋も昼間は暇だしここらで何とかせんにゃあいけんけえ、夜だけの商売に変えようと思っとるんよ」
「えっ、どういうこと?」と私が母に聞くと、
「じゃけえ、あんたは何か資格でも取って他の仕事に就きんさい。日曜日が休みの仕事にね。父さんはタクシーの免許取ってタクシードライバーをするらしいけえ、店を母さんが一人で出来るスタンドバーにしようと思ってるんよ」

私は、少々母の言葉に面食らったが、そろそろ夫との擦れ違いの休みの交際に疲れを感じていた。夫は、私が交際を始めて間もない頃に自分の出自の話をして、「今のうちに別れた方がお互いのために良いかも、親戚の一人でも反対したら交際もせんほうが良いと思う」と言った時、「本当にそれでいいわけ?今は結婚とか考えられんけど、もしそうなっても国籍とか関係ないんと違うか」と言った。

そして、何度も夫を不幸にしてしまうかもしれないという思いに駆られて自分に自信が持てず、些細なことでけんかして彼を傷つけ、世間の現実の厳しさに立ち向かうことを恐れていた小心者の私をかばいながら、「お前が火の中に飛び込むことはないだろう」という息子可愛さの義父の言葉に、「人間はみんな平等じゃないか」と自分の信念を貫き通し、私との交際を真剣に考えて現実と闘ってくれていた。そんな彼と家庭を持ち一家団欒での夕食が出来ることを夢見て、私は母の言葉に従い医療事務の資格を取得して日曜日が休みの病院に勤務した。

私は、その後結婚をして子ども2人を授かり一家団欒での夕食の夢をかなえ、今では子どもたちも独立して結婚し初孫も昨年誕生した。私にあの時仕事を変えるよう切り出した母は、一人でスタンドバーを切り盛りしていたが、私が結婚して3年目の平成元年12月10日、52才の若さで心不全で急死した。

私は、あの時母の言葉に従わず家業を継ぐ事を選択していたら今とは違う人生を歩んでいたかもしれないと思うことがある。そして、今年母と同い年の52才を迎え、もしかしたら母は自分が夢見ていた人生を私に託したのかもしれないとも思えてきた。何の仕事に就いても楽な仕事はそうないだろう。しかし、人は自分のしたい職業に就けたらやりがいを感じ仕事の辛さも半減するのではないか。母が生きた時代は、日本では在日韓国人というだけで理不尽な差別を受け仕事の選択を狭められていた。公務員や企業の社員などにもなる事が不可能に近く、生きていくために人が敬遠するかもしれない職業を選択し必死に働かなければいけない現実があったのだ。自分の役割を果たし傍を楽にすることが本当の意味の働くならば、母はあの時、傍(家族)を楽にして天国に旅立ったのではないかと思う。

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